いろいろ思うところあり…

主婦の雑感です。

誰も読んでないから書く。高槻市の昔の教育現場。

私は小学校から中学校までは

大阪の高槻市の学校に通った。

 

 

学校で国旗は見たことがなかったし、

国家は歌ったことがなかった。

 

 

先生は、

「私は全然辛くないんだけど、勝ち得た権利は行使しないと勝ち得た意味が無くなる」

と、毎月生理休暇を取っていた。

 

 

また、日教組に入っていない先生は、

職員室に席がなく、

音楽準備室に巣くっていた。

 

 

巣くわれていた音楽教師は、

モルダウが課題になったとき、

一緒にある合唱曲を滑り込ませた。

 

 

強烈な歌。

 

 

「へいじょうはこころのふるさと」

 

 

ここに多くは書きません。

ググってください。

 

 

それを歌わせて採点する課題曲にする。

全員が全員の前で平壌礼賛を歌う。

 

 

英語の授業では、

授業の始めに、日直を立たせ唱えさせ、

続けてみなで声を揃えて唱えさせられた。 

 

 

「わたしは、かみのこ

むげんのちからがあり

ひごろのべんきょうをつうじて…」

 

 

 

ラスト一行はどうしても思い出せないのだけど、

進歩向上するみたいな文言だった。

 

 

 

何気なく発する言葉尻を取られ、

それは差別だと糾弾され、

また、隣の市の高校に行きたいと言うと、

地元を良くする気持ちはないのかと

糾弾された。

 

 

 

高槻市だけではなく、 

大阪府には「にんげん」と言う

今から考えると恐ろしい教材があり、

道徳教育に使われた。

 

 

 

それは、いかに日本人が汚く忌まわしい過去を背負っているかを、

延々書いた本だった。

 

 

 

これでもか、

これでもかと、

自虐史観を刷り込まれ、

日本が悪い、

先祖が悪いと、

繰り返し繰り返し吹き込まれた。

 

 

高校は高槻を出た。

茨木市の中学は高槻ほどではなかったが、

教師は共産党員も居た。

高3の担任はとても尊敬できる先生だったけれど、

小林多喜二などの話題になると、

顔を紅潮させて不条理を熱く語り、

放課後には赤旗を配っていた。

 

 

そんなこんなで…

 

 

いろんな経験をして、

私は日本基準では右、

世界基準では中道右派という位置にいる。

 

 

 

あんな教育を全力で施された私。

世の中の不条理や勝ち得た権利の行使を叫ぶ教師を心から尊敬し共感した私。

 

 

余りに極端な教育を施され、

ふとした瞬間から疑問だらけになり、

今日に至る。 

 

 

でも、未だに殆どの友達とはイデオロギーについて話ができない。

 

 

 

それが高槻市の現実。

 

 

もっとえげつないことがあるけれど、

これ以上は言えない。